「1年後、僕たちはどこで暮らしているんだろう?」
2人の子供がいながら、そんな当たり前のことすら答えられない日々。 かつての僕は、プラントエンジニアリングの施工管理として、全国各地を転々としていました。
東北、関東、近畿、東海、九州……。 「次はどこの現場だ?」と確定するのは、早くて2ヶ月前。 子供がどこの幼稚園に通うのか、小学校までには定住できるのか。そんな将来設計すら立てられない不透明な生活は、僕だけでなく、妻にも大きな不安をかけていたと思います。
今日は、僕が「100点の収入」を捨てて、あえて「60点」の道を選んだ理由をお話しします。
平凡なサラリーマンが「高い給料」を得る対価
サラリーマンが会社から給料を受け取るには、必ず何かを「対価」として差し出す必要があります。
優秀な人なら、それは「圧倒的な成果」かもしれません。 でも、僕のような平凡なサラリーマンが人並み以上の給料を手にしようとすると、差し出す対価は往々にして「自分の人生を切り売りすること」になります。
僕の場合、それは「時間」と「住む場所の選択権」でした。
- 時間の喪失: 早朝から深夜まで働き、平日は寝るだけ。繁忙期は週1休みも当たり前。
- 生活拠点の喪失: 1年単位で繰り返される転勤。家族を優先したい気持ちとは裏腹に、会社の辞令一つで生活拠点が決まる毎日。
「家族のために稼いでいる」はずが、いつの間にか「家族との時間」を最も犠牲にしていました。
転職で掲げた「3つの軸」
このままでは、家族との理想の将来像すらイメージできない。そう感じた僕は、人生の舵を大きく切りました。 転職にあたって決めたのは、以下の3つの軸です。
- 関西圏で永住できること
- 残業を減らし、家族との時間に融通が利く働き方をすること
- 給与は、生活できる「最低ライン」まで下がってもいい
「もっと稼ぎたい」という欲を捨て、「家族と地に足をつけて暮らすこと」を最優先にしました。
100点ではなく「60点」が、僕たちを救った
転職の結果、収入は100点ではなくなりました。 でも、その代わりに手に入れたのは、「来年の春も、この家で子供の成長を見守れる」という「当たり前」の安心感です。
平日に子供と夕食を囲み、土日に予定を立てられる。 そんな「当たり前」のことが、今の僕たち家族にとっては、かつての高給取り時代よりもずっと価値のあるものです。
自分や家族の生活に対する満足度が低い場合、 一度、会社に差し出している「対価」が大きすぎないか、自分に問い掛けることは非常に重要なことだと思います。
以前の収入が高かった生活と比較して、「60点の収入」の今の生活の方が幸福度が高いことは間違いありません。
